過保護?

本文とは関係ないですが、FX750のオーバホールが終わったエンジン。
サンドブラスト仕上げとなっています。
DSC00509(2).jpg
今まで使っていたデジカメが壊れて、
とりあえずのもので撮ったら写真がイマイチです。残念。
フレームも側も近いうちに作業に入ります。
DSC00488(2).jpg
やはりZのエンジンは何機作ってもかっこいいです。写真がな~。
撮り直してる時間はもったいないし。
話は変わって、先日奥さんの車の修理であるディーラーに行ったとき、
待つ必要があったのでショールームに飾ってあった車を見ました。
遠目に見ると仕上げは前モデルより良くなっていますが、
運転席を覗くとメッキパーツがメータ回りにずらり。
こんなのメーター回りにギラギラされていて、
運転に集中できるのでしょうか。
見た目のきらびやかさばかりで、本質を見失っているようです。
こういうのを欲しがる人が多いと思われるから、作っているのでしょうが、
私は好きではありません。これでは中身も期待はできません。
カッコはいいほうがいいですが、要所はある程度抑えないと。
さて、気を取り直して。
最近のバイクや車はどんどん過保護になってきていると感じます。
ABSぐらいならともかく、いろんな電制ものが最初からついてきて、
本質的な機械はコストを抑え、そういう付加価値的なもので
「どうですか、買いませんか」
と言っているように感じます。
先ほどの車のように、上っ面ばかりとでもいいましょうか。
良いものを、あるいは気に入ったものを長く使いたい自分としては、
こういう傾向はさみしい感じです。
機械が良いものは長く使っていても消耗が少なく、
気持ちよく使える期間が長い。
きちんと整備すれば一生気持ちよく使えそうなものもある。
ある意味野暮で華がないともいえますが、
私はそちらのほうが好みです。
逆に機械が安物の場合、新車のときは良くても
あっという間に消耗しヘタリを感じてしまう。
故障が多いということではなく、乗っていて
ヘタリを感じてしまうのです。
ましてやバイクや車は高額な商品なので、あっという間に
ヘタってしまっては悲しすぎます。
また電制ものが古くなってくると修理がしにくい。
またASSY交換となったときはやたら高い。
中古で良いものが安く手に入ればいいけど、
古くなってくると辛いし、電制ものが壊れて乗れなくなるのは最悪です。
古いからすべて良いではなく、古いバイクもダメなものが多いですが、
良いものに出会ったなら、昔のものは構造がシンプルで治しやすい。
長く気に入ったものとして持つにはとても良いのです。
約20年前今のような仕事をしているとは思いませんでしたが、
とても幸せものだと自分自身でも思っています。
長く持ち、使い続けられる物をレストアやチューニングし
お客さんにも喜んでもらえる。
本当に自分のしたいことを仕事に出来ている人はほとんどおらず、
よく羨ましいと言われます。でも貧乏になりますよ(笑)
労働時間はやたら長いし。
全てではなく、あくまで全体の傾向としての話にはなりますが、
最近の車やバイクのように過保護になりがちで、小さくまとまっているようなものは
足がわりのもので良いと思います。
趣味で持つなら、直に機械に触れてダイレクトにそれを感じられるものが断然楽しいです。
先日当社で製作した、カタナ1100フルチューン仕様のお客様のバイクに
テストで乗りました。レストアは全ての箇所終わっていませんが、
機能的にはエンジン、点火系、足回りまで作業しています。
久々に乗って、あまりによく走るので自分で製作したのに
こともあろうか最初上まで回せず、もう一度引き返し気合を入れて
再度挑戦という感じでした。
自分自身のテクのなさを感じるとともに、でも正直嬉しく思うのです。
このように普通に乗るのは乗りやすく簡単だけれども、
能力を引き出そうと思えば、歯ごたえのあるバイクが存在することです。
そこには余計な安全デバイスなどなく、あるものをすべてさらけ出して走る。
世の中にそんなものがあること、それに触れ、乗るチャンスがあることに、
幸せを感じるのです。

コメント

  1. 高尾 より:

     本田宗一郎さんが無線機用のバッテリーを流用して原動機付き自転車を作ってから暫くは、移動の手段としての二輪。
     それが趣味の世界になり、今やファッョンの一部となっている気がします。バイクという乗り物を乗って楽しむのではなく、着る服と同じでファッションアイテムの一つとなっているみたいです。
     それはそれで個人の自由なので問題ありませんが、バイクは四輪と違ってむき出しの野生感、それを操っていく醍醐味があると私は味わっています。

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